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私自身のことです。


先日、市民検診を受けました。
色んな検査が受けられるので、一カ所で済ませられればと思い、子宮がん検診以外のほとんどを、ある医療機関で受けることにしました。

ここまでは、よくある話。

胃がおかしいな、との自覚があったので、人生初の胃カメラをやることにします。
それに意識が集中していたというのもあったのでしょう…
ついでに乳がん検診もやろう、と思い立ち、視触診とマンモグラフィーを受けることにしたのが、良くなかった。


私は5歳くらいの頃に強制わいせつの被害を受けており、その後も第二次性徴期に、胸を触られる被害に頻繁に遭っていました。
昭和50年頃です。
当時は、されていることの意味はわかりませんでしたが、強烈な嫌悪感や居心地の悪さ、ばつの悪さがありました。
成長してから、そのことの意味を知り、自己否定が始まりました…



ですが、検診に行った時、私はそのことをうっかり、忘れていたのです。

嫌なことを忘れようとする心の防衛機能が、人間には備わっていますよね。
そのおかげで、忘れていられるときが多いのですが、何かのきっかけで突然過去の忌まわしい記憶が噴出する。
予測は出来ません。
匂いが引き金になることもあれば、音や誰かの声などが引き金になることもあります。
こればかりは、予防が出来ないのです……


その日、医療機関で胃カメラを受け、
「しんどい検査」と言われていたのにさして苦しい思いもせずに、胃カメラを乗り越えた私は、
看護師さん付き添いのもとで男性医師から視触診を受けました。

…まあ、嫌でしたけど、女性の看護師さんが同席していますから、さほど抵抗はありませんでした。
胃カメラをクリアしたことで、何か強くなれたみたいに思ったのかもしれません。


ところが。

マンモグラフィーを撮る段になって、事件は起きました。


マンモは、男性の撮影技師と、撮影室で二人きりでした。
上半身裸になりますが、貸して頂いたのは粗末な使い回しの、タオルで出来たケープ一枚。
前でどんなに引っ張って合わせても、胸が見えてしまいます。

検査で写真を撮るのだから、恥ずかしいなんて言っていられない。

そう思い、「こんなの何でもない」風を装うことにしました。
下手に恥ずかしがる方が嫌らしい、と自分に言って聞かせました……


ですが、マンモグラフィーを一度でも撮ったことのある方なら分かるでしょうが、撮影技師との距離は、ほぼゼロに近いのです。
裸の乳房を、横やうしろにピッタリ寄り添った技師が何度も触り、潰します。
男性技師の身体が後ろから密着して、私を機械の方へ押します…
その状態で、向きがよくない、足の位置はもっとこう、と腰や肩を何度も触られます。
力を抜いて、と肩から腰へ撫で回されて、段々と気分が悪くなって来ました。
潰される乳房の痛みについての悪評は聞いていましたが、違う痛みで心が折れそうになりました……


かつて、何度も出合った痴漢たち。

幼い私を、性的な目で見ながら、
しかしそれを、私に気付かれないようにしながら、
巧妙に触り、撫で回した男たち。
ある男は検査だと言って、ある男はブラジャーを買ってあげるから、と唆し。
ある男は電車の中で、ある男は図書館の中で「ここは図書館だから、大きな声を出してはいけないんだよ」と言って。
ある男は、正真正銘の医師でありながら、看護師の立ち会い無しに、私の性器を弄びました。
私は泣きそうになりながら、触られるのをじっと耐えていたのです。


それを急激に思い出したのは、
撮影技師の鼻息が荒くなって、頬に当たった時でした。

同じでした…



嫌らしいことなんて考えていないよ、という態度で、そういう顔で、幼い私に嫌な思いを強いた痴漢も、同じように私の身体や顔に、鼻息を吹きかけました……


検査なんだし。
もうこんなオバちゃんなんだし。
誰も、私に性的な感情をもって接したりしないだろう、そう思っていた自分が甘かった、と瞬間的に思いましたが、身体が動きません。
目は見えているし、耳は聞こえています。
きちんと受け答えもしているのですが、
何もかもが、遠く離れたところで起きているように、変に反響して聞こえ、ぼんやりとしか、とらえられなくなるのです……
私は、それなのに軽く愛想笑いまでしていました。



帰宅して、泣きました。
惨めで惨めで、しゃくり上げていたら、過呼吸を併発しました。

何が悲しかったといって、一番は、
「マンモグラフィーがどういう撮り方をするのかよく調べもせずに、あの病院を選んだ自分」を反射的に責めてしまったこと。

女性の医師や技師がいて、プライバシーに完全配慮してくれるような病院も、あったのです。
でも、それを調べることを、なぜか怠ってしまった。
だから、「自分は馬鹿だ」と反射的に自分を責めたのです…、嫌な思いを強いた相手ではなく。




犯罪被害に遭ったとき、被害者はもうどうしようもなく「自分が悪かったんだ」と思うものです。
もっとこうすれば良かったのに、どうして相手の思うがままになってしまったのか。
なぜか加害者ではなく、自分を呪います。
誰かに相談すると、その相手からも同じように言われます。
今回もそうでした。「どうして女性の技師の居る病院をあらかじめ選ばなかったの、下調べしなかったあんたが悪いよ」と。
そして、自分を責めて凹んで、何も上手く出来なくなる。

正直、今回の出来事でも、私は半月ばかり落ち込んで過ごしました。
一体、どのくらい時間をかければ浮き上がれるのか…いつも分かりません。



しかし、本当に「馬鹿なのはわたし」「悪いのは自分」なのでしょうか?


検査に関しては、百歩譲って仕方がないとしましょう…(それにしたって、被害体験さえなかったら、と思います)
ですが、幼い子どもに対するわいせつ行為は、「被害に遭った子どもの責任」では有り得ません。
被害児童が、もしもそう感じているとしたら、周囲の大人、親や教員が十分なサポートやケアに失敗しているということです。
その児童は、成長して被害の意味を知ったとき、二重三重に衝撃を受けます。
そして、私のようになってしまうのです……



検査や医療であれば、多少の恥ずかしさ、惨めさは我慢出来る。
そう思えるのが「健康な精神状態」です。

しかし
幼少時に、性的被害に遭っている人は、その記憶のために「健康な精神状態」を保つのが困難になり、
同じような被害に巻き込まれやすくなってしまう。

被害に遭っているのだから、用心深くなるんじゃないですか?と思うかも知れませんが
かならずしもそうではありません。

なぜなら、
被害に遭っている最中には、自分の中で「乖離」が起きるからです。
「こんなことなんでもない、これは私の身に起きたことじゃない」と思うことで、嫌悪感や苦しみを逃そうとするので、まるで自分から魂が抜け出して、別のところから加害者と被害に遭っている女の子を見ているような感情になるのです。
そのため、次に同じような状況に巻き込まれそうになっても、事前に予測が出来ないのです。
状況判断が出来なくなってしまうのです。

50歳になっても、これですからね………


強制わいせつの記憶だけでも、
人の人生を傷つけ揺るがせる、凶悪な芽になり得ます。
「自分が悪かったんだ」と思って内側に崩れて行く子どもと、
「誰も彼もが悪いんだ」と他人を無差別に憎むようになる子どもがいます。
どちらにせよ、被害は甚大です。
そして、子どもたちのそういう思いに、身近な大人たちは気が付きません………


どうか、こんな思いを抱える子どもを、増やさないで下さい。
そのために、まず
立件出来ないような小さな行為でも、
性に関する被害は、被害児童にとって人生を狂わせる事件になりうる、ということを改めて認識して下さい。





結局、その時のマンモグラフィーは撮影状態が良くなく、
撮り直しになりました。

ですが、もう二度とその病院でお世話になるつもりはありませんでしたので、ネットで必死に「女性医師/女性撮影技師」の常勤している医療機関を探しました。

(最初からそうしていれば良かったのですが… 馬鹿な自分!とまた己を罵ってしまうこの惨めさ!)


入念に選んだ次の病院では、先に選んだ病院とは比べ物にならない良い待遇を受けました。
婦人科検診は女性特有です。
入口から男性入室禁止になっています。

問診票に、もう、包み隠さず書きました。

幼少時に性被害体験があるので、男性医師が精神的に受け付けられません
女性医師、女性スタッフの対応をお願いします
……と。

ここで恥ずかしがらなくて良かった、と思います。

その病院では、スタッフの話声、ドアの開閉、着替え、そして検査そのものについても
丁寧な配慮を受けることが出来ました。

粗末なタオルのケープ一枚をポイと投げて寄越すようなことはなく
完全にプライバシーの保てる使い切りの検査着が手渡されました。
マンモグラフィーに痛みが伴うことについて、何度も重ねての説明と、痛くてごめんなさい、との言葉。
検査だから恥ずかしがったりしないで、などという言葉を口に出す人はいませんでした。

検査だろうと、治療だろうと、
胸や性器を他人が見たり触ったりするのは、避けたいもの……そういう心理を、ちゃんと汲んで下さっていました。

「ああ、私は間違っていなかった」と思えました。




「そこまで配慮が必要?」と呆れる人が(女性でも)いることは、
本当に残念な事実です。

ですが、被害体験者というのは、「プライバシーに配慮してもらうこと」が、通常の何倍も必要なのです

こんな私みたいなオバちゃんだってそうなんですから、
小学生女児や女子学生だったら、もっとそうですよ。

「病気であれ、検査であれ」、どんな状態であっても、
もっと言えば、子どもだろうが、オバちゃんだろうがおばあちゃんだろうが、
幾つであっても「プライバシー」というのは尊重されるべきものです。
そうされる権利を、年齢に関係なく、私たちみんなが持っている。
被害体験者はとくに、そうでなければ過去の体験からは逃れられないのです。


どうか、この記事を読んだすべての方が、
その事実を胸に留めて下さいますように。

被害体験者が安心して生きられる世の中に、なりますように………



※ この記事内では、女性のプライバシーが尊重されるべき、と女性限定のような印象の記述が多いですが、男性に関しても同じことが言えます。男女の区別、年齢に関係なく、すべての人にとって、口・胸・性器は「プライベート」なもの。その配慮がない言動がある場合は、誰もがそれを拒否しても良い、それが個人の人権の尊重である、という認識を、もっと広めて欲しいと思っています。


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たまに言われるのですが。

「内野さんは防犯の先生なので、もっとビシッとした厳しい方が来られるのかと思いました」

とか

「吉田沙保里さんとか浜口京子さんみたいな方が来られるのかと思ってました」

とか……



「防犯」!というと、なにか「うっシャああああ!!不審者来いやああああ!!(*`皿´*)ノ」みたいな、身体張ってコドモ守りますよ、みたいなイメージがあるらしいですね………(*´~`*)

セコムやアルソックなどの警備会社が防犯教室やってることと、
警察官でも婦人警官は線が細い人は少ないから
(というか、警察のかたは武道の心得があるし体育系の大学出身の方が多いので)、
どうしてもイメージ的に
「うっしゃあああああ!!」なのは仕方がない、とは思うのだけれど………


ホント、
イメージ先行、だよなあ……。

不審者、もイメージだし。

防犯の講師、も、何か皆さんの頭ん中に勝手なイメージが出来上がってて、
それで私を見てるんだわ…。
だから、イメージと違うわたしに、不満や違和感が出て来るんだわ。


これは、当事者意識の低い人の、悪気の無い特徴ではあるのだけれど。

時折トホホ、と思うことがあります……(´・_・`)


「防犯やってます」というからには、「うっしゃあああああ!」でなくては
ならないんでしょうか。
そうでないと、頼りない?

以前には、「もっとカリスマ性が欲しい、みんなをグイグイ引っ張って行って欲しい」とまで言われたことがあり、非常に困惑しました。



まあ、イメージは、記号でもあるので、大切っちゃあ大切かもしれません。
リボンを付けているのが女の子、
ズボンを履いてるのが男の子、とかいう、
サンリオのネコのキャラクターの「記号」のように
「防犯」=「うっしゃああ!ムキムキガツーン!」みたいな。
その方が、分かりやすいんだろうね。

みなさん、安心したいんです。
力強く守られたいわけ。
「うっしゃああああ!」は、だから、そういう願望が作り上げるイメージなんでしょう。


ですがね…

イメージ先行で、そこから頭が離れられないと
色々と困った問題が起きます。
もっと頭を柔らかくしましょう。

例えば、不審者=犯罪者、ではないのに、
イメージで「こんな感じの人がヤバい」というカタチが出来上がってしまい、
それ以外の人は「不審者じゃない」とまで、思い込みやすいです。
警察官や教師の犯罪は、その他の職業の人に比べて少ないか、って言ったらそんなことは無いのに、「まさか子どもの学校の先生がそんなことは」っていうのがイメージとして先行するから、警官や教師からの加害に対して、この世の終わり、みたいな感じに思ってしまう。どうしたらいいんでしょう、と怯えてしまう。
大人でさえ、そういうイメージで思い込んだらなかなか変えられません。
でも、そこが犯罪者から見ると思う壷なんですよね。


防犯の講師、も、必ずしもアニマルっぽく「うっしゃあああ!」ではないんです。

ポーズだけ立派でも、理論がしっかりしていないなら役に立ちません。
「なんか良さそう」だというだけの、イメージだけで防犯やっても、駄目です。
「実践なき理論は無力、理論なき実践は、暴力である」という恩師の言葉は真実です。




それに………

もっと大事な事は………

私は、被害体験者出身の、防犯の講師であるということ。


物心つくまえに、性暴力の被害に遭いました。
人権、性、そんなことを知る、はるか以前に、
犯罪被害に遭っているのです。

成長して、そのことの意味を知ったとき、自己否定が始まりました。
親の強いたカルト宗教が「加害者を許しなさい」と迫り、さらに私を追いつめました。

既存の防犯は、私の幼い頭の中で、すべて
「これを出来ずに巻き込まれた、私が悪かったのだ」という結論につながりました。
(私の幼い頃は、むしろ「子どものための防犯」なぞありませんでした。性犯罪被害を親に訴えても、聞いてもらえるどころか拒絶されるのが落ちでした… 「どうしてこうしなかったの!」「そんなところにいたあんたが悪い」「すぐに言いに来ないあんたが悪い」「あの人がそんなことするはずが無い、嘘をつくのも大概にしなさい」など… 親も先生も、子どもの告白を聞くスキルや情報を盛っていませんでしたね…)

今でこそ、例えば『いかのおすし』などがありますが
よく知られている防犯のほとんどは、「怖い目に遭ったら、こうしなさい」と子どもに教えます。
私も、被害に遭った後に、他所から聞きました。
怖い目にあった時は、こうするのですよ、と。

でも、私はそもそも出来なかったのです。

とすると、悪いのは、「こうしなさい」を「出来なかった私」……

いじめに遭えば
「いじめられる方にも原因がある」と言われます。
痴漢に遭えば
「痴漢に遭う方にも原因がある」と言われます。

自分にも本当はあるはずの「人権」にさえも気付けず
何かあれば、結局「ああ、自分が悪かったんだ」という結論でしか、人生を生きて来られませんでした。30数年間、ずっとです。


でも、
子どもを産んで、
子どもを育てて、
我が子を自分と同じようにはしたくない、と焦りました。
そこでやっと、見つけたのが「わたしにもあった『人権』」、そして
「人を疑わなくても良い『防犯』」。

「被害を受けるのは被害者が悪いからだ」という思考回路から抜け出せたのは、36歳になってからでした。


この抜け出すプロセスを分析して、
子どものための防犯に役立てたいと思ったのは
小さい頃、誰にも守ってもらえなかった「わたし自身を守るため」。

私にとって、まず第一に守らなくてはならないのは、自分自身なのです。

だから、防犯を続けて来れた。



ふと気がつくと、始めたのは2006年前後です。
もう10年経つんだなあ、と、言われて気が付きました。
「お子さんももう大きいのに、ずっと続けていらして、素晴らしいと思います」とかなんとかね、言われたの。

通常は、自分の子が大きくなれば、防犯についても卒業するものだろう、と
思われているようです……
それが証拠に、PTAで防犯の話を聴きたい!というお母さんがたの子どもさんが卒業すると、その学校では防犯の話が下火になっていく、という現象が起きます。
そこで、誰かが犠牲になればまた活性化するのですが「何も起きない=安全だ」という感じになると、防犯をやらなくなる。

(犠牲だなんて、ホントに嫌な言い方ですが、それが現実です。死亡者が出て、初めて世の中が動く。そして、昨今は、その状態にあります。犠牲者が出始めているので、どこでも「またやらなくちゃ」という気運になっていると思いますが、「目立った被害が無い」状態が続くと、また下火になるのです。大体6年くらいがサイクルのような気がします)

そんな中で、わたしがずっと続けていることがすごい、というのですが…

わたしは、被害者だった子どもの頃の自分を守るためにやっているので(いわゆるインナ―チャイルドケアに近い)、よほどのことが無い限りは、やめることは無いでしょう。



けど。

どうですか。

そんなわたしが、「うっしゃああああ!(*`皿´*)ノ」ってなれると思いますか。

自分の性を踏みにじられた惨めさ、恥ずかしさ、それが原点です。
防犯活動を続ける原動力は、「怒り」です。

怒っている間は毅然として話すことが出来ますが
「怒り」は非常にエネルギーを使います。
消耗が激しすぎて、とても他人をグイグイ引っ張って行くようなところにまで気力が続きません。



だから、残念ですが
カリスマ性、はありません。
グイグイ引っ張ることは、出来ません。

その代わり、共感することは出来る。

被害体験がどんなものか知っているので、
被害に遭っている子(大人もいます)を見つけるのは、
ものすごく得意です。
防犯の講演会なんて短い時間だけれど、
その中で、「あなたは悪くないんだ」と言ってあげることが出来る。
「あなたにも人権がある、加害に対して怒っても良いんだ」ということを伝えることが出来る。
その根拠を、理論的に証明することが出来る。
もう「悪いのは自分だった」なんて思わなくても良いんだ、ということを
伝えることが出来る………


(講演会の講師は、聴衆を見ていますよ〜。一人一人、お顔を見ています。居眠りしそうな人は、まず被害体験がありません。何かしらの心当たりのある人は、目が違いますから。…まあ、居眠りされてたら良い気分ではないですけど、居眠ってる人は、つまり怖い体験してないんだな、って逆に安心したりしますw)




なので、
この防犯の講師は、うっしゃああああ!ではありません。
カリスマ性は、ほぼ、ないです。

私は「うっしゃあああ!」が取りこぼした、守られていない子を、担当します。


そういう立場の防犯の講師が居ても、良いと思いませんか?
プロフィール

内野 真 (うちの まこと)

Author:内野 真 (うちの まこと)
****************


私は、いつも探していました。
「性犯罪」の被害から、
子どもを未然に守るための方法を。

でも、苦労して探しても、なかなか無いんです。

例えば、本。

「性犯罪被害」を防ぐために何が有効なのか?
「犯罪」 「防犯」 「防止」 「方法」 など、キーワードを色々変えて検索するのですが、行き着く所は何か違うものばかり。

大概、2つに分かれます。


内容的にきちんとした本だと、学術書や体験談、
「性犯罪被害を乗り越える」という内容のものに行き着きます。

でも、それは、勇気ある告白本だったりして、読むにも覚悟がいるものが多いのです。
被害に遭ってしまうとこれほどまでに大変なのか、と凹んでしまったり。
被害の現状を放置したままの社会に、怒りを覚えることもあります。
明日は我が身。そう考えれば気持ちは引き締まる。

でも、被害を未然に防ぐためには?……と考えると、そのことは書かれていません。


「性犯罪」「被害」「防止」で行き着くもうひとつの端は、
「性犯罪をエンターテイメントとして描いたもの」。
つまりアダルト作品。
これはお話しになりません… 

アダルト作品は、性犯罪の加害や被害を、娯楽のモチーフとして扱います。
被害の防止とは、正反対の内容です。

うーん……。
これは、どう言うことなんでしょうか。



子どもに加えられる「犯罪」には、以下の3つのタイプがあります。

1. 殺害や、痛めつけることを目的としたもの
2. わいせつ・強姦などが目的のもの
3. わいせつ・強姦までは行かないが、身体的接触(手を握ったり膝に乗せたりするなど)や、ドライブなどで満足するもの(ただしこれは、子どもが騒いだり嫌がったり逆らったりすることが原因で犯人を逆上させてしまい、その結果、殺害等に結びつく場合がある)

一番多く発生しているのは、3番です。

2番・3番の「わいせつ・強姦など」つまり性犯罪は、子どもに降り掛かる加害行為の中でも、大多数を占める、といえます。

幼い子どもは「性」の意味も、自分に備わっている性器の役割も、世の中に氾濫する「性に対する見方」も、その意味も、何も知りません。
それをいいことに不当にその性を蹂躙する、搾取する。
それが、性犯罪。
強姦がなくても、立件出来ないような行為だけでも、子どもの心には深い傷が残ります。

想像力のない人たちは「性的いたずら」という言葉を使いますが、被害当事者から見れば、なにが「いたずら」なものですか。

成長してから、されたことの意味を悟り、幾重にも傷つくことからこの被害は「時限爆弾」「魂の殺人」とも言われるのです。


どうにかして、性的被害から子どもたちを守りたい。
それも、未然に、です。

性的に嫌な思いをさせることも、可能な限り防ぎたい。
幼い頃の、幸せな思い出の中に、そんな記憶はいりません。

ずっと忘れていたけど、そういえば…小さい頃、こんなひどいことがあった。こんな嫌な思いをした。…そういう記憶を持つ女性が、どれだけ多いか、知っていますか?
それが、どれだけの人を精神的に苦しめているか、知っていますか?


「性」を守ることは、「人」そのものを守ること。

我が子の命を守ること、と同義です。

我が子のために、食べ物について学ぶ事と同じ。
学問を身につけるのとも同じです。
お子さんの身体、心を守る方法を知ることは、
「食育」や「知育」と同列、「子育て」そのものでもあります。


いわば「守り育て」。


性犯罪から心と身体を守りつつ育てること。


それを、私はこう呼ぶことにしました。
「守育(しゅいく)」。

「知育」
「食育」
「守育」
ほら、命を守るために、どれも必要なものでしょう?

その方法を、一緒に模索していきましょう。<内野  真>



******************

◆1965年生まれ。埼玉県さいたま市在住。立正大学文学部社会学科小宮信夫教授に師事。
3人の息子を育てつつ、脳動静脈奇形部破裂のため脳障害・認知症を患う実母を介護しています

◆子どもの安全対策コーディネーター/NPO法人地域安全マップ協会理事長/イラストレーター及びライター、声優としても活動歴有り
◆さいたまNPOセンター主催「子どもの防犯力アップ出前教室」インストラクター養成講座講師
◆防犯・防災のラジオ番組「魔法の言葉」配信中(リンク参照)
◆「景色を読み解く」カンタン講習会 講師(下校時安全パトロールの時間を利用した1時間程度の町歩き防犯指導)※当ブログの2014年11月26日の記事参照。<随時申し込み受付中です>


◇出 版 物

<著書>

◆「子どもを犯罪から守る 犯罪被害当事者による子どもを被害者にも加害者にもさせない方法」/明石書店  
◆「いかのおすし」絵本(制作・監修) /防犯用品(株)コンツナ 
http://ikanoosushi.com/new1.html←コチラから動画でご覧になれます 

<共著>

◆「地震からわが子を守る防災の本」国崎信江著/内野真・漫画/リベルタ出版 
◆「我が家の防災対策」作/国崎信江、挿絵・コメント/内野真  信濃毎日新聞  2001〜2002年
◆「まんが 防犯・防災・協力店マニュアル」埼玉県石油業協同組合発行/大倉優原作/内野真・作画 
◆「安全はこうして守る 〜現場で本当に役立つ防犯の話〜」小宮信夫編著/内野真(ファイル21寄稿・本文挿絵・表紙画)/株式会社 ぎょうせい 
◆「子どもたちの叫び 〜児童虐待・アスペルガー障害の現実〜」内野真・尾崎ミオ著/NTT出版 など

<教材>

◆「じしんがきても まけないよ!」地震紙芝居/原案・国崎信江/画・内野真/学研 
◆「子どもの安全カルタ」NPO法人子育てサポーター・チャオ編/東京法規出版(防犯・防災・事故予防の入門編カルタ。監修/小宮信夫、子どもの事故予防情報センター牧田栄子、作画・編集/内野真)
◆「子どもの防犯力アップ出前教室」フリップ(イラスト・監修) など


◇講演会実績等

2005年
東京成徳短大高等部幼児科講話
越谷市赤ちゃん連れ遊び場マップ作製指導

2006年
埼玉県児童館活動活性化モデル事業 
 子どもの安全対策サロン講師
埼玉県宮代町子ども会・自治会主催
 地域安全マップ作製指導協力
婦人公論4/7号 
 子どものための防犯特集記事寄稿
埼玉県越谷市北越谷公民館講演会
千葉市高州保健センタ—保健師研修会 講話
子どもの安全に関するアンケート解説書作成
 (NPO法人子育てサポータ—・チャオ編)

2007年
越谷市南越谷公民館
地域安全マップ作製指導協力
豊島区子ども家庭部子ども課 
 保育士研修 講演会
越谷市花田小学校5学年 学年活動 講演会
神奈川県相武台総合学習センター講演会   
神奈川県警察学校連絡協議会 講習会講師
 少年のみちびき 寄稿文
広島県安心安全アカデミー 講演会
さいたま市仲町小学校 講演会

2008年
練馬区ほうや幼稚園 講演会
愛知県刈谷市 CAPNA主催講演会講師
千葉県市町村アカデミー 講習会講師
越谷NPOセンター主催 講演会
練馬区立大泉第六小学校 講演会

2009年 
練馬区立八坂小学校 講演会
練馬区教育委員会委託
子ども安全安心学習講座 講師
練馬区立関町小学校 講演会
越谷市中央市民会館 講演会
越谷市大沢公民館 講演会 
練馬区立大泉第三小学校 講演会
練馬区立富士見台小学校 講演会

2013年
【内野真生の魔法の言葉】
 ラジオパーソナリティー 
地震だ!だんだんだんごむし!
  DVD(kirakira作製)/声の出演
さいたまNPOセンター 
 子どもの防犯力アップ出前教室
 インストラクター養成講座講師 

2015年
松戸市立常磐平第二小学校家庭教育学級講演会
NPO法人ながれやま子育てコミュニティなこっこ主催防犯講演会
など多数




<講演会・執筆等のご依頼について>

◆随時受け付けておりますが、必ず当ブログ記事をお読みになった上でお願いいたします。
◆ご依頼方法
最新記事(カテゴリーは問いません)のコメントに「管理者にだけ表示を許可する」の項目にチェックを入れ、お名前・所属・ご連絡先を明記ください。折り返しこちらからご連絡いたします。日中はメールチェックが出来ないためお返事が遅くなる場合もございますので、日程に余裕を持ってご相談ください。

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